遠眼鏡屋2

ああ、英語教育

つづき。
講演録の質疑応答の部分に、日本語の読み書きは簡単だが、英語のそれは難しいというくだりがある。作家の言葉であるから深い意味合いも感じられるが、外国人が滞在数か月で器用に日本語の会話をこなすのに、何年たっても日本語の新聞を読めないと聞くと、そうだろうなと感じる。逆に普通の日本人にとって英会話の困難さは読み書き以上と見える。小学生への英語教育がますます早まっているのも、聴き話す能力を高めて欲しいとの社会の要請に応えたものであろう。しかし、近い将来小学校の英語教育が教科に格上げになるそうで、読み書き・文法にこだわった中学英語の二の舞になるのではないかと心配をしている。

私見では、日常生活を送るうえで日本語は聴く話すに易しく、英語は読み書くに易しいと思っている。水が低きに流れるように、外国人は聴き話す日本語に習熟しやすく、日本人は読み書く英語に上達しやすいし、また力をいれてしまう。英語教育の進化は相当むずかしいようだ。

こんなときは原点に戻って考えて見たらどうであろうか。教育には四つの側面があるとおもう。生産者教育、生活者教育、主権者教育、人間教育の四つである。明治以来の英語教育は先進国に追いつくための生産者教育の色彩が濃かった。だから、読み書く英語に重点があったのは合理的であった。しかし、経済的にも政治的にも、さらに文化的にも先発国の末席に連なる身となった現在、英語教育も生産者段階から一段二段と向上していく必要があるように感じる。生活者の要諦はコミュニケーションである。英語教育においても、生活英語に重点を置いた改編が可能なのではないかと思っている。

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