遠眼鏡屋2

著者の見解に概ね同意する

前稿の続きである。水村さんの論説への批判の矛先は大きく三点であったのではないか。一つは、日本語が亡びるとの意見への違和感、二つめは国語力の重視は好いとしてその中心が百年も前の近代国文学になる理由の説明が足りない点、第三の矛先は、突如英語教育の話に移り、少数の人材に徹底した英語教育を与えるとの著者の主張への疑問である。

このうち、第一と第三の批判については、前掲の講演録を読めば著者の思考が納得できるであろう。しかし、第二の日本文学こそが重要とする見解には多少我田引水の匂いがしなくもない。あえて著者の弁護にまわれば、専門家・知識人の研究・論説・交流の輪がいまや国際共通語に昇格した英語によって維持されている自然科学や社会科学の世界と違って、文学にはまだ希望の余地があるというのであろう。

基本的に管理人は著者の見解に賛成である。ただし、特に興味のある英語教育に関しては、もう少し細部に踏み込んで考えてみたい。きょうはここまで。