遠眼鏡屋2

「夜明け前」を読んだ

10日間ほどで文庫本4冊分もの長編小説を読めたのは、字の拡大が思うまま、人名などの検索も簡単という書籍リーダーのお陰であろうが、面白かったのも事実である。ウィキペディアの解説によると、「夜明け前」は歴史小説の白眉であるという。たしかに幕末から明治前半期の時代の移り変わりを木曽の馬込宿の住人たちの目をとおして具体的に追体験できるのであるから、歴史にうとい管理人などにとっては、歴史の勉強になるエンターテインメントである。

だが、面白い原因はそれだけではない。物語の後半になるほど真の主人公がはっきりしてくる。主人公は親の代から引き継いだ宿本陣の当主、問屋主人そして村の庄屋の一人三役の多忙な毎日の中で、縁あって出会った国学に深く共鳴するが、その仲間が相継いで新時代の理想郷実現に向けて世間に出かけるのをあせりを覚えながら傍観せざるを得ない。やがて息子に後を譲り、自らも世間にでることになるが、信念として身につけた理想と国学が早くも捨て去られていくという現実の進行との齟齬に悩み、早々と今でいう惚けの兆候をあらわにしていく展開には少しハラハラした。

通読しながらずっと気になっていたのは果たしてこの小説は歴史小説なのか時代小説なのか、はたまた歴史書なのかという疑問であった。管理人はいつの頃からか、歴史小説は時代を語り、時代小説は人情を描くもの、そして歴史書は歴史家の目線(歴史観)を辿るものと自己流に区分けしている。その尺度を用い、いま、「夜明け前」を林檎に例えるならば、外側の皮は歴史小説であり、果肉部分は主人公青山半蔵の長期間の苦悶をめぐる時代小説ではないかと感じる。

それではこの林檎の芯は何かというと、実は無い。いや、あるのだが描き方が軽い。もし、明治維新前後の極く短い間だけ隆盛重視され、その後無視されるようになった国学あるいは国学者たち、およびその同人をめぐる諸事実がしっかりと「芯」の位置を占めていたなら、読者は歴史の進行に翻弄される主人公と時代そのものに共感することができ、この小説はそれこそ国民的大文学作品になれたことと思う。これについては、すでに国民的文学との評価もあるそうだから、素人は口を慎んだほうが良いかもしれない。もしかしたら、国学の中に反支配層親庶民的な思想の流れがあったのかとも想像しているが、これも素人の戯言でしかない。