遠眼鏡屋2

生産局面に偏(カタヨ)った技術の適用が経済に悪影響を及ぼしている ーー 賢者の石を求める

財政金融政策の内需拡大効果が一向にはかばかしくないように見える点についても触れなくてはなるまいが、これに関しては、たくさんの論説があるので、管理人のでる幕はない。

もっと違った側面から現状を眺めてみる。「なぜ今、私たちは未来をこれほど不安に感じるのか?」の著者松村氏が指摘する点、つまり科学技術の発展がデジタル革命の段階に達した結果、かえってその革命が人々を苦しめ始めたというのは半分当たっているように感じる。

たとえば製造業の近代的工場をみればよい。昔何千人といた人たちの姿はなく、代わって巨大な機械が働いている。単に力作業だけでなく、知的・頭脳的な作業も合わせ行っている。機械運行を監視するオペレーターの数はとみれば、別室に数名乃至(ナイシ)数十名のみである。松村さんは言う。動力革命の時代には、失われた職務を補うだけの新しい職務が生まれたものだが、デジタル革命下ではそれは期待できない。こうして雇用の喪失が需要の縮小に結果する。

経営的には他の企業にさきがけて、こういう生産システムを作り上げた経営者が成功し、従業員もその分け前にあずかれる。だが、やがてどの企業もそういう合理的な方式を採用した暁には、需要はほそる一方なのだから経済全体としてはいたるところ過剰供給の山となる。(注)
能天気な管理人などは外需があるさ、と思うのだが、どっこい外需の拡大なんぞは当面期待しない方が良いという。

(注)教科書から経済を見ると、ここの議論は間違いと思う人がいるであろう。30年まえの管理人もそうであった。このあたりのことを次回書きたい。

何が悪かったのかを振り返ってみると、最新技術の適用が生産局面にかたよりすぎたのではないかと思い当たる。もっと最終消費の段階に焦点を当てた技術開発、イノベーションはないのだろうか。管理人などは、ここで思考がとまる。でも、世の中には知恵者が一杯おられるはず、そういう人たちの新基軸に期待をするばかりである。