遠眼鏡屋2

漱石の「吾輩は猫である」を読了

先述の縦書きリーダーでなかったら終わりまで読まなかったであろう。江戸時代の滑稽本人情本と呼ぶべきか
。猫の目からする人間観察が饒舌に見えるほどだ。

町内金持ち実業家の話、夜中の泥棒闖入や風呂屋の段、近所の学校の学生との野球ボールをめぐる追いかけっこなど可笑しいし、それにまして入れ替わり訪ねてくる友人・教え子との交流振りは同時進行していた漱石「サロン」を暗示しているようだし、総じて当時(百年前)の高等遊民の心のうごきなどかくやと想像されておもしろい。

だが最後のほうで、ある日の夕方来客が帰った後、猫が「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」と喝破し、飲み残しのビールをなめて甕に落ち、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」を唱えながら成仏する場面には若い時(多分中学生)には分からなかった感慨を得た。

なお、実際の漱石を囲むサロンの状況は、和辻による
漱石の人物 に詳しいから、一読をお奨めする。