遠眼鏡屋2

生活英語に上乗せした英語もある

英語談義も中〆である。
水村さんは、この講演ではないが、なにかの雑誌で、川端康成ノーベル文学賞をもらえたのはサイデンステッカー訳の「雪国」によるところが大きかった、大変な名訳ではあるが、原作を日本人が読んで感じる鋭角性をぼかして、欧米人の趣向にあわせた訳になった面もあるのではないか、という主旨のことを語っていた。英語に堪能になるとこういう楽しみ方があるのかと感心したものだ。

前回まで、生活英語の重要性を書いたのだが、それは中学高校英語までの話である。つまり、中学生が突然英語圏に赴く必要があったときでも、おおかた不自由なく生活できるだけの英語を授けよと言いたい。必然的に会話型の英語になるだろう。

ところが、実社会・産業界で必要とされる英語にはさらに上乗せの付加価値が求められる。これは単に達意の表現ができるだけでなく、正しさ美しさ、さらには歴史文化など裏打ちとなる深い教養を感じさせる英語というべきか。水村さんの「二重言語者」の実業界版はこんなものであろう。こういう人たちを養成するセミナーなどが結構あるようだ。適例かと思って、候補を一つ、左欄リンク集に挙げておいた。若い世代には頑張って欲しいものである。

ああ、英語教育

つづき。
講演録の質疑応答の部分に、日本語の読み書きは簡単だが、英語のそれは難しいというくだりがある。作家の言葉であるから深い意味合いも感じられるが、外国人が滞在数か月で器用に日本語の会話をこなすのに、何年たっても日本語の新聞を読めないと聞くと、そうだろうなと感じる。逆に普通の日本人にとって英会話の困難さは読み書き以上と見える。小学生への英語教育がますます早まっているのも、聴き話す能力を高めて欲しいとの社会の要請に応えたものであろう。しかし、近い将来小学校の英語教育が教科に格上げになるそうで、読み書き・文法にこだわった中学英語の二の舞になるのではないかと心配をしている。

私見では、日常生活を送るうえで日本語は聴く話すに易しく、英語は読み書くに易しいと思っている。水が低きに流れるように、外国人は聴き話す日本語に習熟しやすく、日本人は読み書く英語に上達しやすいし、また力をいれてしまう。英語教育の進化は相当むずかしいようだ。

こんなときは原点に戻って考えて見たらどうであろうか。教育には四つの側面があるとおもう。生産者教育、生活者教育、主権者教育、人間教育の四つである。明治以来の英語教育は先進国に追いつくための生産者教育の色彩が濃かった。だから、読み書く英語に重点があったのは合理的であった。しかし、経済的にも政治的にも、さらに文化的にも先発国の末席に連なる身となった現在、英語教育も生産者段階から一段二段と向上していく必要があるように感じる。生活者の要諦はコミュニケーションである。英語教育においても、生活英語に重点を置いた改編が可能なのではないかと思っている。

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著者の見解に概ね同意する

前稿の続きである。水村さんの論説への批判の矛先は大きく三点であったのではないか。一つは、日本語が亡びるとの意見への違和感、二つめは国語力の重視は好いとしてその中心が百年も前の近代国文学になる理由の説明が足りない点、第三の矛先は、突如英語教育の話に移り、少数の人材に徹底した英語教育を与えるとの著者の主張への疑問である。

このうち、第一と第三の批判については、前掲の講演録を読めば著者の思考が納得できるであろう。しかし、第二の日本文学こそが重要とする見解には多少我田引水の匂いがしなくもない。あえて著者の弁護にまわれば、専門家・知識人の研究・論説・交流の輪がいまや国際共通語に昇格した英語によって維持されている自然科学や社会科学の世界と違って、文学にはまだ希望の余地があるというのであろう。

基本的に管理人は著者の見解に賛成である。ただし、特に興味のある英語教育に関しては、もう少し細部に踏み込んで考えてみたい。きょうはここまで。

「日本語が亡びるとき」著者水村美苗氏の講演録pdfを再読した

10年ほど前、「日本語が亡びるとき」というベストセラーがあったのを覚えている人も多いであろう。管理人も早速購入し、一気に読んで、著者の日本語、特に書き言葉への熱い思いとその将来への危機感に印象づけられたものだ。ところが当時、題名の刺激が強かったせいもあるのか、著者の真意を誤解したり、ひどいのになると明きらかに未読のまま、批判的な感想をネット上に公開したケースもあったと記憶する。とにかく話題性に富んだテーマであるから、あちこちで講演会もあったのであろう。日本記者クラブにも招かれたようだ。

で、その要旨をpdfファイルに起こしたものがネットに載っていたのをたまたま発見し、ダウンロードしてあったものが、ハードディスクの奥からヒョイと出てきた。A4版横書き二段組の結構な分量であるが、この際復習をかねて、テキストファイルに戻し、縦書きで読めるように手を加えた。その際用いたテクニック面のことは、縦書きブックリーダーを作る簡単な方法を見ていただくとして、肝心の講演録本体は下記にアップロードしておいた。(講演者と記者クラブにお礼申し上げる。)
http://dango09.web.fc2.com/mizumura/mizumura-tate.html

ああ、中国語

3,4年前であったが、経済学者の野口悠紀雄さんが、経済統計を読むための中国語の習得はそれほど難しくないとお書きなのをみて、ひやかし気分で挑戦してみたことがある。発音は一切無視して、ただ文章を理解するわけだが、概要の理解程度なら一週間もしないうちにできるらしいことを知った。ただし、ここに簡体字をマスターするというハードルがある。そのためにエクセルの表などを利用して、一覧表を作成しかけたが、その数の多さ(約3000字)に挫折して、いつの間にか興味を失った。
参考:中国語の書き言葉 3

それが、この度、「筆談で覚える中国語」という本がキンドル版で出ているのを知って、またもや冷やかし気分で購入してみた。ざっと眺めただけであるが、ちょっと発見があった。簡体字の数の問題である。


中国では、1975〜76年にかけて建国以来最大規模の漢字統計調査が行われたそうだ。 調査対象になっ た86冊の本、104冊の雑誌、7000篇以上の文章、合計2100万字以上の出版物において、 使われていた漢字は合計して6335字と意外に少なかった。

それらの漢字を使用頻度でみると、最も頻繁に使われている漢字「最常用漢字」は560字、「常用漢字」は807字、そして「準常用漢字」は1033字と、 合計2400字の漢字が全使用漢字の実に99%をカバーしていた。 2400字というと、日本の常用漢字2136字に比べてもさほど多くはない。

そして驚いたことに、2400字のうち簡体字化されているのは、800字ほどだというのである。


このように、4年まえに想定していた漢字の重圧は相当に軽くなったわけだが、では勉強再開と行くかというと、4歳年取ったのがボトルネックになっている。まだ、迷っている。

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